あれからこれから

不安障害と更年期うつを抱えた私の記録

サプリメントの信憑性

 


生理周期が乱れてイライラが酷くなってきた50歳。

他にも今まで無かった症状が出始めた。

顔のほてり、寝起きの頭痛、足に赤いぶつぶつ。どう考えても不安障害のせいじゃない。

 

見かねた夫が、『エクエル』というサプリメントを取り寄せてくれた。それは婦人科でも目にした事があったサプリだった。

 

夫「更年期に効くらしいよ。試しに飲んでみたら?」

サプリ…

 

 

女性ホルモンは閉経前に急激に減っていき、閉経時にはゼロになる。この頃の私は急降下の途中にいた。

この減っていく過程に体や脳が追いつかず、自律神経が狂い不調が出る。

そして、これが酷くなった状態を更年期障害という。

 

 

『エクエル』は簡単に言ってしまえば擬似女性ホルモン減っていく女性ホルモンをこれで少し補って楽にしましょうって話。

 

大豆製品を食べて、それを腸内で擬似女性ホルモンに変えられるラッキーガールは2人に1人。

自分がラッキーガールなのか調べてないが、かなり食事に気を使っていたのにこの状態。残念ながら違うんだろう。

 

 

『エクエル』の口コミが良いのは知っていた。

でも所詮サプリだ。それに口コミの信憑性なんて試してみないと分からない。

でも1ヶ月分で4,000円弱。安くはない。コスパ悪い。

手が出しづらかった。

 

試すチャンスを夫がくれた訳だ。よっしゃ人体実験だ。より確実なものにする為、その時飲んでいた漢方薬を一旦やめて飲んでみた。

 

粒がかなり大きい。企業努力を他の所で使ってしまったのだろうか。

これを1日4粒って…
薬が効きやすい体質なので、とりあえず2粒飲む。

 

翌朝。

寝起きの頭痛がない。うそ。

一週間後、足の赤い発疹が消えた。まじか。

肌の水分量が増えた気がする… キャー!

⚠️あくまで個人的感想

 

あまりにびっくりして、私は『エクエル』の普及活動を始めたが、友人は効いてるか分からないと。義妹は指の痛みが楽になったと。後輩は飲むのが大変と、人それぞれ。普及活動は早々にやめた。

 

ほてりは相変わらずあったが、飲まないよりは良いかと思い、ホルモン補充療法を始めるまでの2年間、『エクエル』を飲み続けた。

 

自然と忘れていったこと

イライラが酷くなり始めた50歳、半年ほど生理が来ない時期があった。

不思議なことに心身共に穏やかな日々が続いたので、「早く閉経してくれ」って気分だった。

そして、自然と子供が欲しいという気持ちがなくなっていった。

無理矢理諦めようとしていた頃とは違う感覚だった。女性ホルモンの減少と関係しているんだろうか?

 

不妊治療をやっていて子供を諦めたという人が周りにいないので私調べだが、私は非常にしつこい方だったと思う。

家族連れを見て「なぜ自分はそうなれなかったんだろう」と、せつない気持ちになる事が完全に無くなるまでに、20年もかかってしまったのだから。

 

なぜそんなに諦めきれなかったんだ

と不思議に思う人もいると思う。

実際、自分でもそう思っていた。

ダメならさっさと方向転換すれば良い。

一旦こうと決めたら何がなんでもやり抜きたい思考回路のせいなのか。

あの時の私は、いい母、いい妻、いい嫁になる事が全てだった。

 

30歳から35歳まで、約5年間治療した。その間、治療以外にも漢方やサプリ、占いや神社、迷信、色んな物にすがった。共働きでやっとの夫婦だったが、その期間とお金をもっと有意義なものに使おうという意識はまるでなかった。

お金が尽きて治療を辞めた。「もう二人で良いじゃないか」と元夫に言われた。

 

それでも「奇跡が起きるかもしれない」と、謎の自信を持ち、多くの妊娠検査薬を無駄にした。いつも食い入るように見ていたが、小窓に線が現れることはなかった。

 

スムーズに妊娠し出産していく人たち。なぜ私じゃないんだろう。

幼い子供が犠牲になるニュースを目にすると、不条理な世界に怒りを覚えた。

 

親ガチャ(便利な表現だな)でハズレた上に、まさかこんな所でもつまづくとは。

つくづく自分が "家族" というものに縁がない人間なんだと思い知らされ、卑屈になっていった。

 

諦めよう、諦めなきゃ。

 

 

どんなに頑張っても手に入らないものがある。

 

分かってたけど、分かろうとしなかった。

駄々っ子のように、ずっと欲しい欲しいと言っていた。

神様は本当に意地悪だなと思うけれど、私は別の価値で生かされているのかもしれないと、この歳になってやっと思えるようになった。

それが何なのか、生きてるうちに分かるといいんだけれど。

 

 

明日からちゃんとします

 

スーパーの宅配サービスをたまに頼む。とても助かっている。

一定額超えると送料無料だし、重たい荷物を抱えなくていいし、何より外に出なくていい。(自分で書いてゾッとする)

 

あちらはお仕事なので気を使うことはないのだけれど、なにか悪い気分になってしまうのはなぜなのか。

スーパーが歩いて5分の至近距離というのも罪悪感を掻き立てる。

 

こんな近くなのに頼むの?体動くのに。

配達の人に思われてそう。

他人にどう思われているか気になる。

母の「ちゃんとしなさい」という言葉の呪縛に未だ取り憑かれている。私はちゃんとしなくちゃいけないという意識が強い。

 

まあ最初はそんな感じだったけれど、だんだんと平気になってきた。

お金を払っている訳だ。向こうはそれがお仕事だ。まとめ買いすると重いし、気にすることはない。サザエさんでいう"三河屋さん"みたいな感じだ。

 

先週の土曜日、久しぶりに仕事を休んでしまった。耳鳴り、めまい、吐き気、体がいう事をきかない。

体調に波があることを理解いただけている職場なので、連絡すると「無理しないでゆっくりして下さい」と言われる。ありがたい。

前は「迷惑かけて悪い、申し訳ない」と自分を責めたりしていたが、「動ける時にちゃんと働けばいいんだ」と考えられるようになった。

 

お昼過ぎにやっと起きれるようになり、冷蔵庫も空っぽだったので、宅配サービスを頼んだ。

土曜日に頼むのは初めてだった。

風呂も入らずボサボサの髪、クタクタの部屋着で「はーい」と生ぬるい返事をしてドアを開けると、中学卒業したてな感じの男の子が立っていた。

すれた感じもなく、顔が小さくシュッとしている。違う次元に生きているかのよう。

 

まぶし過ぎて直視できない。

 

いつもはおっちゃんとかなのに…(おっちゃんなら良いという私の酷い基準)

完全に油断していた。

むくむくと羞恥心が湧いてくる。

 

天気の良い土曜日、私が頼んだものをテキパキと渡す少年と、それを受け取るボロボロのおばちゃんの宅配物リレー。

いつもより長く感じる時間。

土曜日、友達と遊びに行かず働いてるこんなちゃんとした子に、ダメな大人の姿を見せてしまって申し訳ない気持ちで一杯になる。

具合悪いから宅配頼んだんです感を出そうと、コホコホとわざとらしい咳をしてみたり。

 

商品を渡し終え、「以上になります、ありがとうございました!」と、少年は爽やかにドアを閉めた。

玄関の鏡に映った自分の姿を見て、もう少しちゃんとしようと思った。

書いてる内に眠くなってきた。やばい。夕飯の支度…

 

だからまた頑張ろうぜ

 


笑いと音楽が私を救ってくれたと真剣に思っている。

 

小6で初めて眼鏡を作った。

40年前、子供用メガネの選択肢は少なく初めてのメガネは銀縁だった。

ダサい。

しかも薄型レンズの技術も進んでいないので、縁からレンズがはみ出している。

よりダサい。

いくら必死にブローして髪型を頑張っても、眼鏡をかけると瞬く間に乙女心をへし折られるようなルックスになる。

とにかく眼鏡が嫌だった。

 

そして「眼鏡=真面目」というイメージがついてまわる。

今でこそ眼鏡は様々なイメージになったけれど、当時のマンガの真面目キャラといえば眼鏡が必須だった。たまちゃんや丸尾くんには悪いけど、私は自分がこの枠に入れられる事が嫌だった。

 

当時、兄のレコードをこっそり聞いていた私は、洋楽パンクロックを愛聴する早熟な子だった。反骨精神をこれで養った。

しかし、ロックをやってる人にサングラスはいても眼鏡はいない。(当時は)

眼鏡のせいでぶち壊しだ。私の目指す姿じゃない。

 

意地悪な兄に「メガネブス」といじめられる毎日。

 

TVには可愛い素人さんが番号付けて出ている。

「可愛ければ全てうまくいく」

真剣にそう思っていた。

 

高校に入ると、必死に貯めてきたお年玉で速攻コンタクトに変えた。

今までの見え方はなんだったのかってぐらいクリアに見える世界に感動した。

が、クリアに見えたのは周りだけじゃなかった。

久しぶりに眼鏡なしで見る自分の顔。

数年間、顔の上にあった縁取りがなくなると、自分がいかにノッペリした顔だったかに愕然とした。

自分の顔面偏差値が低いことに今更気付く。

薄々分かってはいたけど

 

コンタクトにしてからも兄の「ブスイジリ」は無くならない。

そりゃそうだ。兄の言う通りだ。

高校生でメイクなんてリップぐらいの時代だ。どうしようもない。DCブランドに身を包もうと、KYON²にはなれない。

自己肯定感はさらに下がっていく。

 

ある日、お笑い番組を観てゲラゲラ笑ってる私に「あんたの笑い声聞いてるだけで、こっちまで可笑しくなる」と、いつもイライラしていた母が笑いながら言った。

「ゲラか」ってぐらい母が笑ってる。私もそれにつられて笑いが止まらなくなった。反抗期、母と一緒に笑うなんて久しぶりだった。

 

私はお笑い芸人を目指す事はなかったが、周りを明るくするようなユーモアのある子になろうと努めた。

顔面偏差値は変えられないので、"愛嬌" を選んだ。

外に出ればバイト先の人達に可愛がられ、お笑いと音楽好きの友達も増えた。

家庭内は劣悪でも、一旦外に出れば楽しい世界がそこにあった。

「狭い世界でウツウツとするのはもう沢山だ。早く家から出たい。」こんな思いが強くなっていった。

 

その後、「生きてて良かった」と思える事や人や唄にたくさん出会えた。

運が良かったのかもしれない。

挫折も沢山あったけれど、私の世界は捨てたもんじゃなかった。

だから、また頑張っていこうぜって話。上がったり下がったりだけど。

 

ストレスが原因って言われても。

 

 

50歳。

相変わらず生理前は不調のオンパレード。

耳鳴り、めまい、吐き気、高血圧。

特にイライラは酷くなる一方で、自分でもなぜそんなにイライラするのか訳が分からない。

 

そして、夫がこの『イライラ』の被害者になる。

「更年期だからしょうがないよ」と言ってくれる夫。

 

仕事では頭の回転が遅くなり、覚えも悪くなった自分を実感していた。昔のように動けないのが嫌だった。

この頃、職場の人間関係でストレスがたまり夫に愚痴を吐き出していた。

夫が「こうしたら?」とアドバイスをくれても、「愚痴に意見しないでよ!」と、またイライラ。

 

最低だ。どうしてこうも自分はダメなんだ。

そして、私はまた自己嫌悪に陥る。

やっぱり私は結婚なんかしちゃダメだったんだ。ひとりになりたい。消えてしまいたい。

 

 

生理も徐々に量、日数が少なくなり、周期も乱れてきた。

 

私のホルモンも残りわずかなのだろう。

 

いつもの婦人科にてホルモン数値を測ってもらった。

結果はFSHが44.5、エストラジオール(E2)が102.0( ※エストラジオールとはエストロゲン(女性ホルモン)のこと。閉経後は39.0以下になる)

 

 

医師「ホルモン出てるから、まだ生理来るよ」

 

え?まだ来るの?

 

勝手なもので、この頃には早く終わってくれって気分だった。

3年前はホルモンがある事に優越感すら持っていたのに。

 

nemuko8888.hatenablog.com

 

1年前は生理止める薬飲めなかったくせに。

 

nemuko8888.hatenablog.com

 

 

医師「ただね、ホルモン出てるのに脳が気づいてなくて、ホルモン出せー!って指令をバンバンだしてる状態なのね。脳が誤作動を起こしてるって言えば分かりやすいかな?」

 

 

要するに、私の脳はバグっているらしい。納得だ。

そりゃコントロールできないはずだ。

 

 

その原因になっているのが『ストレス』だと先生に言われた。

なるべくストレスがない様に過ごしてね、と笑顔で諭されて帰る。

 

ストレスのない人なんているんだろうか。

いないんだろうけど、ストレスを受け流すのが上手な人か、自己肯定感が高くてストレスを跳ね除けられる強い人なんだろう。

 

昔は私も出来てたのに。こんな私じゃなかったのに。

 

今ある幸せに目を向けていこう。

自分に何度も言い聞かせる。

そんな事わかってる。十分幸せだ。夫に感謝しかない。

 

でも、できなかった。

この頃の私はまだ過去を恨んでばかりいた。

 

 

なぜ私なのか問題 その② 『見える』という人

 


私はピンチに陥ると、占いに走る。

 

悪い時期だと分かれば少しでも納得できる。もちろん占いが絶対だとは思ってない。

ただ、良い時期、悪い時期(動かない方がいい時期)、これを分かっているとリスクが減ると思っている。

 

ところが、どの占いにも "良い時期" と書いてある。

 

良い時期なのに悪いことに巻き込まれるってどういうこと?

やっぱり自分が悪いんだ、と自分を責めてしまう。

他人に相談しにくい事は吐き出し場が無く、ひとりで抱え込んでしまう。夫もこれ以上話を聞くのは限界だろう。

 

そんな時、むかし知人から教えてもらった整体師さんの事を思い出した。

知人いわく『見える人』だという。

またまたあ〜

 

統計学なら根拠が分かる。見えるという人はどう見えるんだ。

宜保愛子的な?すごく興味はあるが少し胡散臭い。

と、聞いた時は思った。

 

でも今は違う。私はこの状況を打破する為の答えを欲していた。

 

電話をすると落ち着いた声の女性が出た。名前を伝えて予約する。

もう見えてるかもしれない…(すでにロックオン)

 

当日、マンションの一室へ向かった。

そこには宜保愛子感の微塵もない30代ぐらいの女性がいた。

整体なので受けやすい服に着替え、施術が始まる。ああ、かなり張ってますね、ボキボキ。かなり曲がってますね、ボキボキ。

 

私の期待している『見える』話に一向にならない。

 

施術が終わり、ハーブティーを飲みながらのリラックスタイム。体はスッキリしたのでこれでも良いかと思っていた時、先生がおもむろに話し始めた。

 

  1. 目立つか目立たないかの2極で考えている。
  2. ハッキリとしたポリシーや意見を持っているが、繊細で優しくて言えない性格。
  3. 今の職場は嫌な所ですねw。リハビリと考え、言いたい事や意見を言う練習をしましょう。キツく言わなくていいので、笑顔で「ごめんなさい」で逃げる。
  4. 「この人は何でも言う事を聞いてくれる人」という周りの概念が消え、顔つきや醸し出す空気が変化し、変な人が寄って来なくなる。
  5. 長く続けようとして頑張り過ぎるのをやめ、楽しんで働く。
  6. まあいっか、なるようになると、流れに逆らわないでやっていけば次に繋がって行く。

 

 

職場の事は言ってない。私の情報は名前と電話番号だけ。ここを教えてもらった知人とは何年も連絡をとってない。やはり『見える』のだろうか?

 

最後に自分からこんな事があってと、殴られた事を話した。

隠れる所に行かないようにと言われた。これは見えなくても分かる事だろう。

でも、一番ハッとした。

 

 

私は幼い頃から隅っこが大好きだ。秘密基地、押入れ、本棚の横、柱の影。隅っこで静かに遊んでる子供だった。

 

大人になってもそれは変わらなかった。

隠れたがる癖がついていて、引き込まれるようにそこへ行ってしまう。飲食店でも隅の方の席を探す。さすがに人通りのない夜道は歩かないけど。

これ以降、単独行動での隅っこは避けるようにした。

 

その後すぐ、今の仕事が見つかり、事務の仕事は辞めた。変な人は寄って来なくなった。

 

 

なぜ私なのか問題 その①

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過去の吐き出し話です。

 

 

失業保険の給付も終わり、働かなければならなくなった48歳。

販売職に疲れていた私は事務職を選んだ。

 

慣れない仕事、覚えが悪くなった頭、久しぶりの外社会。

早く仕事に慣れようと頑張った。

良い人ぶって笑顔で仕事引き受けちゃったりする。

頑張り過ぎるからダメなのに全く学んでいない。これじゃ別の職種についても同じ事。

 

しかも私の頑張りは人間関係にまで及ぶ。

変に高いコミュ力を、使わないでいいところで使って望まぬ者を引き寄せてしまう。

自分で引き寄せてる事に気づいてない。相手が勝手に寄ってくると思っているからタチが悪い。

 

 

きつい。なんかきつい。

ストレスがピークにきた時、決定打を喰らった。

 

 

朝の出勤時。交通量も多い通学路。コンビニなどの小売店や飲食店、病院も並んでいる通り。大人ふたりが通れるぐらいの歩道。

そんな事に遭遇するなんて思いもしない条件で事は起きた。

 

向こうから手ぶらの男性が来る。時間的にあまり見かけない感じ。

前に軽トラが止まっていて歩道の半分を塞いでいたので、ひとりずつしか通れない。速度を緩めずこのまま歩いて行くと、ちょうどその軽トラの前で男性とすれ違う事になる。

 

「通り過ぎるのを待ってから行こう」

 

とっさにそう判断したのは、「ひとりしか通れないから」というのもあったし、

 

何よりもその男性がニヤついていたから。

 

歩く速度を徐々に緩めて軽トラの手前で立ち止まり、男性が私の前を通り過ぎるのを待った。その瞬間、男性の右手拳が私のお腹に入るのが見えた。

こういう時って必ずスローモーション。脳の不思議。

 

ズンっと重い鉛がお腹に入った感じがした。

お腹から折れ曲がってその場にうずくまった。

 

殴られた。

 

振り返ると、男性は何事もなかったように歩いて行っている。

わざとじゃないなら「すみません」の一言ぐらいあるはずだ。

 

「ちょっとちょっと、何してくれてんだよテメエ!」(心の声)

もともと負けん気が強いので、こんな時に私は恐怖心よりも真っ先に怒りが湧いてくる。

小型犬がキャンキャン吠えるような感じ。

 

立ち上がり、携帯を取り出し、男性の後を動画を撮りながら追っかけた。

 

 

「よくそんな事できましたね、怖くなかったんですか?」

上司に状況を説明しなくてはならず、この話をした時に言われた。

 

私がどんな気持ちで一心不乱に男性を追っかけたかというと、

なぜ私なのか知りたかったからだ。

幼い時、10年前のあの日、あの時も、ほら、あれだって。私じゃなくてもいい時はあったはずだ。なぜ私を選んだのか、なぜ私なのか。

 

この人に聞けば長年の疑問が解決するかも知れない。謎が解けるかも知れない。教えて欲しい。怒らないから。なぜ私だったのか。

 

そんな気持ちだった。闇深くてとても上司には言えなかったけど。(ここに書いてるけど)

 

 

信号で止まってる男性にやっと追いつきそうになった時、横顔がチラリと見えた。

笑ってた。

 

ここで私の追跡が終了。恐怖心が襲ってきて足が止まってしまった。

夫に電話し、警察が来てパトカーに乗って実証見物諸々して、警察署で被害届やら写真撮ってなどの予定外な一日になった。

歩道の防犯カメラに男性は映っていたが、その後その人は捕まらなかった。