笑いと音楽が私を救ってくれたと真剣に思っている。
小6で初めて眼鏡を作った。
40年前、子供用メガネの選択肢は少なく初めてのメガネは銀縁だった。
ダサい。
しかも薄型レンズの技術も進んでいないので、縁からレンズがはみ出している。
よりダサい。
いくら必死にブローして髪型を頑張っても、眼鏡をかけると瞬く間に乙女心をへし折られるようなルックスになる。
とにかく眼鏡が嫌だった。
そして「眼鏡=真面目」というイメージがついてまわる。
今でこそ眼鏡は様々なイメージになったけれど、当時のマンガの真面目キャラといえば眼鏡が必須だった。たまちゃんや丸尾くんには悪いけど、私は自分がこの枠に入れられる事が嫌だった。
当時、兄のレコードをこっそり聞いていた私は、洋楽パンクロックを愛聴する早熟な子だった。反骨精神をこれで養った。
しかし、ロックをやってる人にサングラスはいても眼鏡はいない。(当時は)
眼鏡のせいでぶち壊しだ。私の目指す姿じゃない。
意地悪な兄に「メガネブス」といじめられる毎日。
TVには可愛い素人さんが番号付けて出ている。
「可愛ければ全てうまくいく」
真剣にそう思っていた。
高校に入ると、必死に貯めてきたお年玉で速攻コンタクトに変えた。
今までの見え方はなんだったのかってぐらいクリアに見える世界に感動した。
が、クリアに見えたのは周りだけじゃなかった。
久しぶりに眼鏡なしで見る自分の顔。
数年間、顔の上にあった縁取りがなくなると、自分がいかにノッペリした顔だったかに愕然とした。
自分の顔面偏差値が低いことに今更気付く。
薄々分かってはいたけど
コンタクトにしてからも兄の「ブスイジリ」は無くならない。
そりゃそうだ。兄の言う通りだ。
高校生でメイクなんてリップぐらいの時代だ。どうしようもない。DCブランドに身を包もうと、KYON²にはなれない。
自己肯定感はさらに下がっていく。
ある日、お笑い番組を観てゲラゲラ笑ってる私に「あんたの笑い声聞いてるだけで、こっちまで可笑しくなる」と、いつもイライラしていた母が笑いながら言った。
「ゲラか」ってぐらい母が笑ってる。私もそれにつられて笑いが止まらなくなった。反抗期、母と一緒に笑うなんて久しぶりだった。
私はお笑い芸人を目指す事はなかったが、周りを明るくするようなユーモアのある子になろうと努めた。
顔面偏差値は変えられないので、"愛嬌" を選んだ。
外に出ればバイト先の人達に可愛がられ、お笑いと音楽好きの友達も増えた。
家庭内は劣悪でも、一旦外に出れば楽しい世界がそこにあった。
「狭い世界でウツウツとするのはもう沢山だ。早く家から出たい。」こんな思いが強くなっていった。
その後、「生きてて良かった」と思える事や人や唄にたくさん出会えた。
運が良かったのかもしれない。
挫折も沢山あったけれど、私の世界は捨てたもんじゃなかった。
だから、また頑張っていこうぜって話。上がったり下がったりだけど。