あれからこれから

不安障害と更年期うつを抱えた私の記録

気にしない術


バスや電車で苦手な人が近くに来るとしんどいという話を心療内科の先生にした。

電車以外にも、ショッキングな報道に過剰に反応してしまうので、ニュースはTV、ネット共に避けるようにしている。

 

それに対しての先生のアドバイス

  1. その人はその場限りの人である。
  2. 関係ない人や世界を自分に関係があると思い込んで引き寄せているので、脳に「関係ない事」と言い聞かせる練習をする。過剰になっている脳を騙していくようにしよう。
  3. 宝くじが当たった人をニュースで見て「すごい!うらやましい!」と思っても自分の事のように歓喜しないのは、自分とは切り離して考えているから。同じ考え方をしてみよう。

 

要約すると、気にすんなって事。

 

通勤時、苦手な人が近くに来たら "気にしない術" を反芻した。まあまあ上手くいっていたが、今日、隣に来たらすかさず別の車両に移動するぐらい苦手なタイプが現れた。

 

急行電車で何にも掴まらないで踏ん張る人。

 

混んでもいない、手が届く範囲に手すりや吊り革がある。なぜ掴まらずに踏ん張るんだ。

潔癖症?アスレチック気分?体幹ありますアピール?

携帯見ながら大股広げて私の後ろに立っている。後ろに居ると気づいた時には四方に人がいて逃げられない。

 

「あそこのめちゃくちゃ揺れるとこで倒れてぶつかってこないかな」と思い心臓バクバク。

 

ちょくちょく当たってくる。やめてくれ。

あと15分すればこの人とはおさらばだからと、先生の教えを唱えながら我慢。音楽を爆音にする。

最後のカーブがきた時、肘鉄を思いっきり肩甲骨に食らわされた。

さすがに「テメェ」と思い振り返ると、小声で「すいません」と。

謝るぐらいなら吊り革に掴まってくれ。

 

先生が言うように、この場かぎりの人。でもこの先同じような人に会う確率はまだあると思う。子供なら仕方ない。電車ウキウキするもんね。でも、大人なんだから公共の場で人に迷惑かけるのやめて。こんな事思う私が大人げない?早くこのぐらい気にしないでいられるようになりたい。

 

こんな時考えてしまう。

私がマッチョだったら?強面だったら?モヒカンで全身ピアスでタトゥーだったら?当たらないようにするんじゃない?むしろ避けるんじゃない?

 

 

明日は病院の日だ。

行き慣れないルートのバスに乗らなければいけない。しかも予約時間がラッシュ時にあたる。

正直行きたくない。でも薬が切れると困る。病院に行くのも大変なんですよ、先生。

 

先生は和牛ファンだ。

M1で優勝出来なかった事を未だ嘆いている。あの時優勝していれば解散しなかったんじゃないかと。しかも最後の優勝のチャンスをかっさらったコンビを良く思ってない。

「しょうがないよ先生。誰のせいでもないよ、ただの方向性の違いだよ。」と私は思う。

先生の脳と取り替えて欲しい。

 

桜は綺麗だけど、やっぱり家が好き

今日、仕事へ行くため一週間ぶりに外へ出ました。

桜が咲いていました。てか、もう散るんじゃないかってぐらい満開でびっくりしました。

一週間前には全然だったのに。

こんな調子だと、あっという間に今年も終わってしまいそうです。

 

私はびっくりしましたが、毎日外に出ている人にとってはそう驚くことでもないんでしょう。

 

私は時間を無駄にしているんだろうか?

 

いつもは天気のいい日に引きこもっていても何の罪悪感もない自分ですが、こうもまざまざと季節の移ろいを見せつけられると考えてしまいます。

 

中学生の時、日曜の昼にTVで熱湯風呂をゲラゲラ笑いながら観てた自分に「そんなバカらしい番組観てないで外へ出掛けて来なさい」と、娘の将来を危惧した母から言われたことをよく思い出します。

思えばあの頃から今の素質があったんでしょう。

 

家でダラダラと過ごすのがたまらなく好きです。

映画観たり絵描いたり本読んだり昼寝したり。ずーと家にいても苦にならない。特に最近はこれに拍車がかかっている。歩いて2分のコンビニですら遠く感じる。

 

これをマイペースと言っても良いのか、ただの引きこもりか。

やっぱり時間の無駄遣いなんだろうか。

 

 

啓発本とか出してる人に「時間の使い方が下手!人生損してますよ!」って怒られそう。ビクビク。本屋さんではいつもその手のコーナーの前は足早に通り過ぎる。

 

でも、仕事はとにかく早く終わらせたいので無駄を無くすために努力してる。

プチプラコスメとか、スーパーの自社ブランドとか、19時以降に安くなるお惣菜とか、コスパが良い物は大好き。あ、これはお得感か。

 

 

来年もきっとこんな感じだろうな。でも、気分がたまたま良くて気が向いたら、お花見とか行っちゃうのかもな。昔みたいに。思い切って海外とか行っちゃいたいな。お金ないけど。

私の冬眠生活はあと何年続くかな。

 

て、こんなくだらない事をベッドに入って書いてたら、隣の夫から早く寝ろという寝息の圧が凄いので寝ます。

おやすみなさい。

 

 

イライラを止めるか生理を止めるか

 

49歳。世の中はマスク必須の頃。私はパートで仕事を再開していた。

 

PMSがひどくなってきたのは40半ばぐらいからだったと思う。排卵痛、下痢に過食、落ち込み。これぐらいは我慢できた。ところがこの頃から、

 

無性にイライラするようになってきた。

 

職場の気の合わない人にイライラ(言えないけど)、外でマナーの悪い人にイライラ(言えないけど)、そして、家では夫にイライラ(めっちゃ言う)。

 

月の半分がこの状態。そして、生理が始まるとぴたっとおさまる。

二重人格かもと思うくらい落差は激しかった。

 

もしやPMDD(月経前不快気分障害)なのかも。このままじゃ家庭内の空気がさらに悪くなる。

これじゃいかんと最新医療をしているというレディースクリニックへ駆け込んだ。

 

 

医師「じゃあ、薬を飲んで生理を止めましょう」

ん?

戸惑う私を残し、話はどんどん進んでいく。

 

医師「閉経前あたりに一旦薬を止めて、閉経したらホルモン補充療法に切り替えましょう」

 

そこで『ディナゲスト』という薬をもらった。

 

 

帰り道、無性に悲しくなった。

私は前の結婚の時、子供ができず5年ほど不妊治療をしていた。

治療をやめたのは子供を諦めたからではなく、お金が続かなくなったからだった。

体外受精なんてやると1回40万はかかる。やったからって妊娠する保証はない。不妊治療ってのは、肉体、精神、金銭の三重苦。それでも我が子をこの手に抱きたい一心で沼に落ち込む。

2022年からやっと不妊治療が保険適用となって、今頑張っている人達が金銭面だけでも少し楽になると良いなと思うばかり。

 

 

時を戻そう。

私がこの薬を飲むってことは、諦めきれなかった思いに自らトドメを刺すって事だ。

 

 

分かってますとも、もう49歳。生理があっても妊娠するはずがない。

分かってはいたが、私はこの薬が飲めなかった。

 

子供が欲しかったんですよ、先生。まだ若い前途有望そうなあなたに言っても仕方ないとは思うんですけど、おばちゃんはね、むかし子供が欲しくて欲しくて苦労してね、挙げ句の果てに離婚までしちゃって、あらやだ関係ないわねこんな事。だからそう簡単に、「生理止めましょう」なんて言ってほしくなかったのよ。

 

なんてこと言えないので、親友に電話して号泣した。

 

この先生の処方は間違っていないと思う。ピルはもう飲めない年齢だし、イライラを止めたいから何とかしてと言ったのは私なんだから。矛盾してるのは私だ。

 

その後、大豆製品取ったりヨガやったり色々やってみるも、イライラは止まるどころか増していった。今思えば、これは更年期の症状の出始めだったと思う。

 

 

お風呂に入らないと

 

 

なんか、調子悪いです。

天気のせいでしょうか。

一日の中でも気分にムラがある。

 

こうして文章を書いたり、絵を描いたりしている時が一番落ち着きます。

小さい頃から一人遊びが大好きで、絵を描いて空想の世界で想像を膨らませていました。

この時だけは誰にも邪魔されず、本来の自分でいられる。

 

さて、今日も外に出ていません。お風呂にも入っていません。自分としては全然平気なんですが、家にずっといて何もしてない事が夫に悪いな、という気になってしまうので、そろそろやる気を出さなくてはなりません。よっこいしょういち。

まずはお風呂に入ろうかと思います。

お風呂に入ればスッキリして、入って良かったと思うのに、その一歩が踏み出せない。

お風呂ってなんなんでしょう。

 

ここ最近ブログを書き始めて思ったのは、ですます調が良いのか、だ・である調が良いのか。

どっちかいいんですかね。

そんなこと気にしてないで、はよ風呂入れって話ですね。

 

どうする?結婚生活は前途多難

 

47歳。夫と暮らし始め、私の更年期がひっそりとスタートしていた頃、仕事を辞め一年間失業手当をもらいながら生活していました。

 

その頃の私は最後の仕事でとんでもないカスタマーハラスメントに合い、かなりのダメージを受け(この話まだつらい)、これまでの無理もたたり心身ともにボロボロだった。

 

 

ほとんどを家で過ごしていたが、チャイムが鳴ればビクつき、隣近所の生活音にビクビクし、配達の人が来ても出られず居留守を使う。

夫はそこまで?とびっくりしたが、そう、そこまでなんですよ、と開き直るしかなかった。怖いもんは怖い。

夫はよくAmazonでポチッとしていた。届いていると思い帰宅すると不在届が。

私「ごめん、怖くて出られなかった」

夫「・・・」

 

どうして配達の人が怖いのか不思議そうだった。確かに頼まれたものを届けに来ただけである。

私はこれまでの経験から悪い方へ考える癖がついていた。

「人はいつ豹変するかわからない恐ろしい生き物で、私を攻撃してくるに違いない」

 

私の事は分かってもらえてると思っていた。


「人が怖いの!知らない人が怖い!」と泣きながら訴え、その後夫は自分がいる時間に届くよう変更した。

出かけても電車に乗るとソワソワしてきて前に立つ男性が怖い。いや、気持ち悪い。人混みではザワザワに耐えきれず帰る事も度々。

 

不安以外でも問題はあった。本来の私はマイペースで気分屋。でも、人といると顔色をうかがったり、気を使ってしまう。とてつもなく疲れるので、人と会った後は自分を癒す一人の時間が必要だった。

 

最初の結婚の時は若くて体力もやる気もがあったから出来てたが、離婚して独り身の楽さになれていた私には「ずっと人といる」事がしんどかった。

夫とお付き合いしていた時は、調子が悪い時は会わないようにしていたが、一緒に暮らすと一人になれる場所がない。帰る家もない。週末婚とか理想的と思うも、金銭的にそんな余裕はない。

 

やっちまった、、、

記憶の欠如に、結婚して気付いた。

 

夫と何度も話し合った。ひとりの時間が必要な事。たとえ夫であろうとも気を使い、顔色を伺い、疲れてしまう事。自分のペースが乱れる事がきつい事。わがままと言われようと仕方ない。

新生活はもちろん楽いことも沢山あったが、私の不安障害と性質のせいで難航した。

 

 

 

結婚と離婚と再婚と


2度3度と結婚、離婚を繰り返す芸能人のことを「学ばない人だな」と思っていた。

いざ自分が再婚すると、他人と暮らすのは無理な人間だと学んだくせに、なんでまた結婚してしまったんだ?と、度々自問自答した。

夫に「やっぱり結婚には向いてないから離婚してくれ」と言ったことも。

 

「人は判断力の欠如によって結婚し、忍耐の欠如によって離婚し、記憶の欠如によって再婚する」アルマン・サラクルー

 

最初の結婚は私が子供が欲しかったからだった。

それまで結婚願望はあっても、子供を欲しいと思ったことが無かった。

 

「子供嫌いでも自分の子供は可愛いものよ」とアルバイト先のパートさんに言われたが、ピンと来なかった。子供は好きだ。全世界の子供達の幸せを願い、募金も欠かさずしていた。

闇深い子だと思われるから言わなかったけれど、理由は自分が子供を持つべき人間ではないと思っていたから。

 

私は少し歪んだ家庭で育った。

“私二世“ を作ってしまうかもしれない。そんな可哀想なことしたくない。

 

ところが、同棲していた元夫との穏やかな生活で、すっかり憑き物が取れた私に、“母性" というものがムクムクと湧いてきた。

子連れのママ達がキラキラして見える。「私もあんな風になりたい。」

 

元夫は良いお父さんになると思った。彼も子供好きだった。

子供を作り、誰もがうらやむ幸せな家庭を持ちたかった。幸せな家庭像に憧れていた。

しかし、元夫の方はというと、結婚のけの字すら拒否するオーラを出していた。とても言い出せない。

2年の同棲生活の中、彼は一度も私を両親に紹介する事は無かった。彼の父親はとても厳格で同棲していることすら内緒にしていた。

 

このままダラダラ同棲が続くなら別れよう。30歳、当時の妊娠のタイムリミットも近づいてきた私はそんな風に考えていた。

不穏な空気に気付いたのか、元夫は私を両親へ紹介し、結婚する事になった。

プロポーズもなく、新婚旅行もなく、淡々と籍を入れた。でも十分幸せで希望に満ちていた。

 

今思えば、元夫との子供が欲しかったのではなく、ただ子供が欲しかったのかもしれない。自分の野望の手段として身近な彼を使ったのかもしれない。

結局子供は授からなかった。幸せな家庭も作れなかった。神様は見てたんでしょうか、私のこの歪んだ動機を。

 

 

結婚とは勢いとタイミングと言うが、確かにそうだなと思う。

今の夫からプロポーズされたのは、私が懲りずに再就職した所を解雇された時だった。

 

それまで一緒に暮らそう的な空気が出ても、失敗から自分は他人と暮らす事ができない人間だと痛感していたので、また早いよなどとはぐらかしていた。

 

しかし、「けっこん」という4文字を口に出された時、私は即座に「はい」と答えた。

もちろん夫のことが大好きだったし、NOと言えば彼とは別れる事になる気がしていた。迷惑をかけてしまうのは重々承知だったが、それを大きく上回るほど彼と一緒にいたいと思った。

 

はじめてされたプロポーズは、キラキラした感じではなく、まるで任侠もののような空気感だった。

あの時の夫の思い詰めた顔は未だ脳裏に焼き付いていて、このメンタル崩壊おばさんを請け負う相当な覚悟を持ってプロポーズしたんだろうと思う。

 

そして、周りはまさか結婚するとはと驚いた。私が芸能人を見てそう思ったように。

 

元夫の疑惑

見た目のタイプってあると思う。でも中身はどうかは分からないし、自分を好きになってくれるとは限らない。

以前、奇跡的にタイプの人とお付き合いしていた事があった。

彼はバンドマンで無職という絵に描いたようなダメっぷりだったが、「将来結婚しよう」と言われ、見た目も相待って私はのぼせ上がっていた。

母は彼のことを毛嫌いしていて私の目を覚まさせようと必死だったが、反対されると燃えるもので、私は部屋を契約し家電を揃えて2人で暮らす準備をしていた。そんな時、彼の浮気が本気へと変わり呆気なく振られ、途方にくれていた時に元夫と出会った。

 

元夫は私のタイプではなかった。正確に言うと顔がタイプではなかった。失礼な話だと思うけれど、お互いそうだったと思う。でも、その前に散々な目に遭っていたのでそんな事どうでもよくなるぐらい穏やかで平和なお付き合いだった。

 

友人繋がりで知り合った元夫は、人当たりが柔らかで人懐っこく、女友達との飲み会に混じっても違和感の無い人だった。彼のことを悪く言う人はおらず、見た目は男性だけど女友達のような感じで、私の方が彼を引っ張っていく関係性だった。

 

「元夫さんはGだよね」と言われ始めたのは離婚した後だった。

しかも数人に。みな前からそう思っていたと言う。私が否定すると見た目がそうだと言う。本人が「可愛い男の子が好き」と言っていたのを聞いたという人まで出てきた。

 

思いもよらない事を言われとても驚いた。

見た目?近くに居過ぎて分からなかった?え、離婚の理由それだと思われてたって事?

 

確かに当時TVによく出ていたおぎママをもじって「〇〇ママ」とあだ名で呼ばれ、職場では有名人だと聞いた事があった。でも、私は不思議に思うこともなく、「人気者なんだ良かった」と思った。そんな感じで考えた事もない。

 

そんな訳ないと思いつつ、思い当たる節をたぐって考えてみた。

夜、趣味系で若い男の子達の集まりに頻繁に行くようになった。隠さず行っていたし、新しい繋がりが出来て楽しいんだろうと思っていた。

 

仕事帰りによく職場の若い男の子とコンビニ前で飲んで帰って来てた。いつも弾んだ声でちょっと遅くなるからと電話を掛けてくるので、深い意味もなく「本当に仲良しだね」と言うと嬉しそうな顔をしていた。

 

疑いの目で見ればそう見えるし、私だって同性で年下の仲良しの子と飲みに行くのはウキウキする。可愛い女の子も好きだ。性的な目で見ることはないけど。

 

いや待て。可愛い女友達の写真をわざわざデジカメからガラケーに移して保管してたのを知ってるし、TVでこの女優さん好きとかよく言ってたし、2人で街でオシャレ女子ウォッチングやってたし。

 

いや、まてよ、そういえばあれってそういうこと?

その他にも疑おうと思えばいくらでも出てくるので考えるのをやめた。

 

私が家を出る時、元夫が泣いていた姿を思い出すと悲しくなる。

別れを言い出したのは私だった。互いに興味が無くなりただ一緒に居るだけの関係なら解消したいと言った。

彼は最後までこのままではダメなのか、別れたくないと言っていた。繊細で寂しがりやな人だった。

最初で最後に見る元夫の泣き顔だった。

泣きじゃくる夫につられて私も号泣した。

 

GでもBでもそうじゃなくても何でも良いと思っている。

でも、万が一彼が言えずに苦しかったなら、気付いてあげれなかった事が申し訳ない。

結局、私は元夫を表面でしか見てなかった気がする。

私たちはお互いの思いを話し合うことが少なかった。お互いが察してオーラを出し、言いたいことが言えないケンカもしない夫婦だった。

 

自分から別れを言い出したのは初めてだった。いつも切り出される方だった。切り出される方が辛いと思っていたが、切り出す方もとてつもなく辛かった。

 

酷い仕打ちをしてしまった申し訳なさで苦しくなり、別れた後は会わなくなった。

別れても友人でいたいという彼が望んでいたカタチにはなれなかった。言えた義理じゃないけれど、自分らしく生きていてくれたら嬉しいなと思う。