『できない自分を受け入れる』
これができずに長年苦労した。
そういう今も、できていない時がある。
更年期になり、以前の様にできない事が増えた。そのひとつが料理だ。
50歳を過ぎた頃から火を使うと顔が火照るようになった。
あちい…
料理は好きだ。冷蔵庫にある食材で考えて作るのが謎解きのようで楽しい。
夫は料理が苦手。
よし、私の得意分野で頑張ろう。美味しいと喜んでもらおう。
良い妻スイッチが入る。
ところが、火を使うとのぼせてクラクラする。好きだった料理がつらいものへと変わった。
夫「無理して作らないでいいよ」
いや、作ります。私、作れます。
本心は、「きつい。作りたくない」
でも、「何か買ってきて」その一言がどうしても言えない。
その頃の私の頭の中はこんな感じだ。
「子供もおらず仕事もたいしてしていない。みんな子育てしながら頑張っているのに。ご飯ぐらいちゃんと用意しなければ。」
マイナス思考のお手本。
プラス思考の人はこう考えるのかも。
「私、体調悪いのに仕事してるし、今日はきつかったけど、お味噌汁は作れたからすごい!みんな子育てお疲れさま!ありがとう!」
無理だ… 脳が爆発しそう。
いつからこうなったんだろう。
母にいつも「ちゃんとしなさい」と言われて育った。私の希望は無視して何でも勝手に決めてしまう人だった。
母に褒めてもらいたい一心で従っていたが、その後思いっきり母の引いたレールから外れた。
自分で決める事がこんなに楽しいなんて。
社会に出ると、今度は自分で決めたレールの上を走る事になる。
「こんな風な人になって、周りに認められたい」
いつしか、理想と現実の区別がつかない上に、変な欲まで出始めた。
私のなりたい人物像は、自分とは掛け離れていたんだろう。なかなかなれない。
周りに褒められても、「いや違う、自分はまだまだだ」と思う。
なれない自分に落胆する。こんな事もできないなんて。なんてダメなやつなんだ。
もっとやれるはず。頑張れるはず。
自分は一体何と競争していたんだろう。
他者に認めて欲しくて頑張る。
他者に必要とされているという喜びで自身の存在意義を満たす。
私の生き方はいつしか他者優先になっていた。
母親が世間に変わっただけ。
『三つ子の魂百まで』は本当だった。
こういうのを巷では完璧主義というらしい。
完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは、心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。
今は夫に「今日は作りたくないから何か買ってきて」と素直に言えるようになった。できない自分を認めたからか、結婚生活も5年たち開き直れるようになったからか。
開き直ってしまえば、こんなに楽な事はない。
あれ?みんなこんな感じで生きてたの?
そりゃ私、生きづらい訳だよな。
今の理想は釣りバカのハマちゃんだが、現実には難しそう。自分の理想像はいつも極端過ぎるのかもしれない。