今日は夫も仕事が休みで、ゆっくり9時過ぎに起き、見てみぬふりしてきた毛布やブランケットをやっと洗った。
風は少し冷たいけれど日差しは柔らかく、まさに春の麗らかな日。
平和だなあ
こんな平和な日が再び訪れるとは
10年前の今頃、母がくも膜下出血で倒れた。
病院に駆けつけた時はもう意識がなく、手術をしても助かる見込みはゼロに近いと言われた。
生前、母が「延命とかお母さん嫌だから。眠ったまま死にたい」とよく言っていた。ピンピンコロリだ。
私たち家族はその意志を尊重し、母は一回も目を覚ますことなく1週間後に息を引き取った。
この頃の私は元夫との離婚が進まず、家庭内別居をしていた。
「離婚したら久しぶりに親子3人で暮らそうか」と話していた矢先の事だった。
親孝行したい時に親は無しだな、意識がない母を見ながらそんな事を考えた。
母が死んだ後、私はとある理由から父兄親類全てと縁を切った。父が原因だった。父から逃れ、自分の心身を守るためだった。
本来なら家族や親類と一緒に、母を失った悲しみを分かち合うところが、ひとりで背負うのはとてもしんどい事だった。
母を憎み、反抗していた過去。大人になっても可愛げのない娘で親孝行できなかったこと。やっとこれから女同士としての関係が築けると思っていたのに。
何故もっと会っておかなかった、話しておかなかった。
後悔の念に押し潰され、母の元へ早く行きたいと思った。
生きてるようで生きていない、そんな日々。
お盆やお正月、家族が集まる時期は、昔の楽しかった頃の家族の姿を思い出し苦しくなる。
どうしてこんなことになったんだろう。
春は特に調子が悪かった。この時期になると、いつもザワザワしたものに襲われていた。
最後に会った時の母の笑顔、病院の管だらけの母、豹変してしまった父、相変わらずな兄、何も知らずに私を責め立てる親類。思い出したくないものがどんどん溢れてきて、うめき苦しんだ。
不思議なことに、ここ1、2年でそれが減った。
頭に浮かんでくるのは、私が幼かった頃の仲の良い家族の姿。
みんな楽しそうに笑っている。
つらい記憶に蓋をするのは無駄な作業だ。したって勝手に溢れてくる。だから蓋はしていない。
じゃあ何故なんだろう。
時間のおかげ?それとも脳が楽しい思い出を上書きしてくれた?